小川町三丁目(西部)

今回も千代田区の『町名由来版』を報告します。
とはいえ、前回までの岩本町近辺の町名由来板ではなく、
駿河台下にある『小川町三丁目(西部)』となります。

撮影日は令和5年1月22日なのですが、
この日は近くにある『小川広場』で、雪まつりが開催されていました。
靖国通り沿いには巨大雪だるまが出現します。

 

ちびっこ用のそりで滑る特設の滑り台が用意されていました。
写真奥は雪があるのですが、
あまりの人の多さで、
地面に撒かれた雪では、なかなか遊ぶことができません。

閉場間際に取った写真ですが、
実は、こんな感じで雪が敷き詰められていました。

 

さて、話を戻し、『小川町三丁目(西部)』の由来板についてです。
そこには、

『江戸時代、小川町は神田の西半分を占める広大な地域をさす俗称でした。
古くは、鷹狩に使う鷹の飼育を行う鷹匠が住んでいたことから、元鷹匠町と呼ばれていましたが、元禄六年(1693年)に小川町と改称されました。五代将軍綱吉が「生類憐みの令」を施行、鷹狩を禁止したため改称されたという話も伝わっています。
小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからともいわれています。江戸城を築いた室町時代の武将太田道灌はその風景を「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹をあらひこそすれ」と詠んでいます。

安政三年(1856年)の絵図では、この界隈に寄合医師和田春孝、常陸土浦藩土屋家の上屋敷などが見られます。
明治五年(1872年)、周辺の武家地を整理し、富士見坂を境に北側は猿楽町一丁目、南側は小川町となり、明治十一年(1878年)、神田区に所属します。ちなみに富士見坂の名は、坂の上から富士山が見えたことに由来します。
明治時代の猿楽町一丁目には、英語、漢学、数学などを教える研精義塾、裁縫を教える裁縫正鵠女学校や婚姻媒介所などがありました。小川町には、西洋料理店やビリヤード場、小川町警察署などがあり、学生たちで賑わう街でした。また、町内に過ごした昭和期の小説家永井龍男は、文藝春秋社で雑誌編集長を務めたのち、後年には文化勲章を受章しています。
昭和八年(1933年)の区画整理により、ここは小川町三丁目となります。昭和二十二年(1947年)に神田区と麹町区が合併して千代田区が成立すると、町名も神田小川町三丁目となりました。』

と記されております。

この界隈は『スキー用品店』が軒を連ねます。
雪に触れて、スキーに行きたいなと思った次第です。

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