麹町一丁目
今回の町名由来板は『麹町一丁目』です。
番町は『一番町』から『六番町』まですべて紹介しましたので、
麹町近辺を紹介できればと思います。
由来板は東京メトロ半蔵門線「半蔵門」駅の出入口にあります。
以前、よくこのガソリンスタンドの前の道を通っていました。
都心でGSを探すのは苦労します。
由来板には以下の記載があります。
作家・荒俣宏氏による文章です。
『麹町は、江戸城の西に位置した半蔵門から外堀四谷御門にいたる道筋、現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに誕生した町である。
江戸時代には半蔵門の正面に麹町一丁目、以下、聖イグナチオ教会付近が十丁目となり、あとは四谷御門の外から新宿に向かい、十一丁目から十三丁目まであった。江戸城の守りとなるこのあたりは、半蔵門から見て右手に番町の旗本屋敷、左手に但馬豊岡藩(兵庫)京極家や播磨明石藩松平家、近江彦根藩井伊家などの大名屋敷があった。その中央をつらぬくように走る麹町の通りは、四ツ谷、内藤新宿を経由して甲州路につながり、沿道には武家屋敷の御用を調達する商家が並んでいた。江戸の町屋ではもっとも古い地区の一つで、幕府の麹御用を勤めた麹屋三四郎が一丁目の堀端に住んだことから「麹町」の名が起こったといわれている。ほかに竹屋、魚屋、西瓜屋、乗物屋、太物(綿・麻布)屋など有力な店もあって、日本橋の商家に対抗する勢力を誇ったといわれる。
しかし麹町の由来はさらに古く、上古にあっては豊島宿(のち江戸宿)から府中の国府を往来する国府街道の、江戸における出入口であった。すなわち国府路の町であった。よって、元来は「国府路町」であったとする説も有力で、徳川時代に入り大名旗本の小路となったことから「小路町」となり、元禄年間(1688年~1704年)に麹屋をはじめ、呉服商の岩城枡屋などの有力な商屋の繁栄を見るようになってから、「麹」が当てられたと考えられる。
かつて国府に行く道の始点であったことと、半蔵門から江戸城内を通って竹橋に抜ける通路(代官町通り)の出入口でもあったことから警護も厳しく、幕末に「桜田門外の変」が起きた際には半蔵門竹橋間は一般の往来も禁止された。明治維新後、多くの大店は大名旗本の没落と運命をともにした。
明治二年(1869年)に東京府が五十番組に区分され、麹町一丁目は第二十三番組に所属し、明治四年(1871年)に大区小区に再区分されて第三大区第二小区の一部となった。次いで明治十一年(1878年)に十五区制となり「麹町区」として分立した。さらに太平洋戦争後、昭和二十二年(1947年)に隣接の神田区と統合し、千代田区内の町となり現在に至っている。
麹町は武家地と町人地とが隣り合う江戸の中枢であった。その性格は今も継承され、国会、官庁、裁判所、大使館、そして皇居に囲まれた商業地として、賑やかだが品格のある町並みを回復した。政治・文化・商業のミックスされた、ユニークな町である。内堀沿いの風景も美しい。いつまでもこの景観が保たれることを願う。』