神田和泉町

今回のブログも地名編です。
先日、秋葉原での研修の帰りの際に見つけてしまいました。
千代田区は大きく2つの地域に分かれます。
麹町地区と神田地区です。
そもそもは麹町区と神田区が合体して千代田区になったのでその名残でしょうか。

今回の地名由来板は『神田和泉町』です。
このブログでは初めての神田地区からの紹介です。

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秋葉原駅昭和通り口を出たところにあります。
首都高速を挟んで、ヨドバシカメラのビルが大きく見えます。

 

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そんな由来板の内容は以下の通りです。

『江戸時代、この界隈には、伊勢国津藩(現在の三重県津市)藤堂家の上屋敷(藩主が住んだ屋敷)、出羽国鶴岡藩(現在の山形県鶴岡市)酒井家の中屋敷などがありました。藤堂家が代々、和泉守を名乗ったことから、この町は和泉町と呼ばれるようになりました。江戸時代のこの地は武家地であったことから町名をもっていませんでしたが、明治五年(1872年)、神田和泉町の名前が正式に誕生しました。明治維新後、政府は津藩上屋敷跡地に東京医学所(現在の東京大学医学部附属病院の前身)を設立し、さらに明治七年(1874年)になると、酒井家跡に文部省医務局薬場を設置しました。
大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災で町は、町民の必死の防火活動によって火災をまぬがれ、世の奇跡として市民の賞賛を受けました。そのためこの神田和泉町を含む一帯は、昭和十四年(1939年)一月に、東京府より「関東大震災協力防火の地」として顕彰され記念碑が建てられました。
しかしながら、昭和二十年(1945年)三月十日未明の東京大空襲で町の全域が焼失してしまいました。戦後の昭和二十三年(1948年)には、現在の三井記念病院の敷地の一部に当時の農林省東京食糧事務所ができ、全国知事会議や食糧需給上の重要な会議が開催されました。現在の和泉公園は、食糧難時代のゆかりの旧跡といってよいでしょう。』