九段二丁目

靖国通りを挟んで靖国神社の前にこの町名由来板があります。

九段の住所は靖国通りで北と南に分かれるのですが、
祭りのときなどは南北分けずに各丁で組織されています。

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文字部分を書き写しますと以下の通りです。

『現在の九段上界隈は、江戸時代の早い時期から武士の屋敷として整備された町です。
この界隈が九段と呼ばれるようになったのは、江戸時代も中ごろのことでした。幕府は四谷御門の台地から神田方面に下る坂にそって石垣の段を築き、その上に江戸城で勤務する役人のための御用屋敷を造りました。当時の石垣が九層にも達したことから、九段という通称が生まれ、のちに町名にもなったのです。
関東大震災以前はいまよりさらに勾配がきつく、坂の下に荷車を後押しして生計を立てる「押屋」が常に集まり、客を待っていたほどでした。
また、坂上にある靖国神社は、新宿方面から神田方面に抜ける主要地方道302号線の中心にあたり、靖国通りという呼称もここから生まれています。
九段坂は四谷御門の台地の東端に位置し、坂を上りきった場所からは神田や日本橋、浅草、本所はむろんのこと、遠くは安房国や上総国(ともに現在の千葉県)の山々まで見渡せました。さらに、西に目を向ければ、道の正面に富士山の全容を拝み見ることができました。坂を上りきった界隈が明治から昭和のはじめまで富士見町と呼ばれていたのもそのためです。』

いまでも冬は富士山がくっきり見えます。その反対側にはスカイツリーがどーんと建っています。