隼町

今回の地名由来板は『隼町』になります。
何丁目とかはなく、半蔵門近くの皇居沿いに位置しています。

『隼町』の地名由来板を見つけるのは困難でした。
まさか、こんな形であるとは思わず、うろうろしてしまいました。
『隼町』には国立劇場がありますが、50周年で特別バージョンなのでしょうか。

そんな『隼町』の由来板にはこのような文章が載っています。

『江戸城内堀に面したこの界隈には、徳川家康が江戸にやってきた当初、鷹匠たちの屋敷がありました。鷹匠とは、タカやハヤブサを飼育し、鳥や小動物を捕らえるよう訓練する専門家のことです。つまり、隼という町名は、鷹匠の屋敷があったことに由来しているのです。
江戸時代、このあたりには、播磨明石藩松平家や、三河田原藩三宅家などの武家屋敷や、火消役屋敷がありました。田原藩の家老となり、画家・思想家としても名高い渡辺崋山も、この地に生まれ、生涯の大部分を過ごしました。
元禄年間(1688年~1704年)、麹町通りに面した町屋裏の武家地(現・麹町一丁目5番地および7番地)は町人地となり、麹町隼町と呼ばれていました。それが、明治五年(1872年)、麹町一丁目に含まれることになったため、南側の武家地だったこの一帯に、由緒ある「隼町」という町名が付けられることになったのです。
明治以降、町内には陸軍の施設であった教育総監部、東京衛戍病院、航空本部などが立ち並び、隼町は軍と関係の深い土地になりました。
そんな隼町に、昭和四十一年(1966年)、日本の伝統芸能の保存と振興のために国立劇場が開場しました。同四十七年(1972年)、その隣に最高裁判所が建ち、また同五十四年(1979年)には、国立劇場敷内に国立演芸場が開場しました。国立劇場および演芸場は、歌舞伎・文楽や落語・講談などの伝統芸能の公開、調査研究を目的とした施設です。
こうして戦後の隼町は、日本の司法と伝統文化にかかわる町として生まれ変わったのです。』

昭和41年(1966年)に国立劇場ができたのですね。
2017年になりましたので、また由来版は形を変えるのでしょうか。

次回は『麹町三丁目』をご案内いたします。