平河町一丁目

今回の地名由来板は『平河町一丁目』です。
地名由来板は交通量の多い大きい通り沿いにあるイメージなのですが、
『平河町一丁目』の由来板は、奥まったところにあり
見つけるのに若干苦労しました。

新宿通りを南側に越え、東京メトロの『半蔵門駅』を過ぎたあたりの
向かって右手あたりの一角が『平川町一丁目』になるようです。
千代田区の地域バスの麹町ルートは平川天満宮まで行って折り返します。

そんな『平河町一丁目』にはどんな由来があるのでしょうか。
由来板によりますと、

『平河(平川)は、古代以来の中心的集落として平川の下流(現在の一ツ橋・大手町付近)にあった地名で、平川村と呼ばれていました。平川村は、明暦三年(1657年)の大火で現在の場所に移され、平河町と改名、一丁目から三丁目ができたといわれています。
平河天神は、文明十年(1478年)、太田道灌による創建当初、江戸城内梅林坂付近にありました。徳川家康による江戸城整備が始まると平川御門外に移され、慶長十二年(1607年)、現在の場所に遷座されました。
天神社の境内には、上野寛永寺の末寺である龍眼寺が別当寺として置かれていました。広大な境内では縁日のほか芝居や相撲興行などもおこなわれ、周辺も店屋や町屋が並ぶなど、たいへん賑やかな町になりました。
明治二年(1869年)、麹町龍眼寺門前が元平河町と町名を改めました。麹町平河町一丁目~三丁目は、ほぼ江戸時代の町割のままで、明治四十四年(1911年)に麹町の冠称がはずれ、平河町に変わりました。そして、昭和九年(1934年)、元平河町と平河町一丁目~三丁目が合併し、現在の平河町一丁目が誕生しました。このとき平河町四丁目~六丁目も平河町二丁目となりました。
天神社は第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、いまは平河天満宮として立派に再建され、参拝者で賑わっています。』

とあります。

次回は、『平河町二丁目』を紹介します。

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