永田町一丁目

今回の町名由来板は『永田町一丁目』になります。
国会議事堂がある場所です。

 

この日は学校建設地をめぐる問題で証人尋問が行われていたこともあり
多くのマスコミが駆けつけておりました。

 

国会議事堂の正面の道路脇にあったのですが、
『永田町一丁目』の由来板はなかなか見つけることができませんでした。
分かりやすく由来板の横に町名が書いてあるにも関わらず・・・

 

そんな政治の中心である『永田町一丁目』の由来板には
以下の文章が掲載されております。

『「永田町」の名前が正式に生まれたのは明治五年(1872年)のことです。江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来です。江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めました。明治期には大半が軍用地に変わりましたが、国会議事堂が昭和十一年(1936年)に完成すると、国政の機能が集中し、政治の中心地となりました。』

また、阿刀田 高氏の『議事堂前公園』という文章もあります。
『国会議事堂から道一本へだてた公園。洋風の庭園は憲政記念館と地つづきになっている。散策をしながら、
「ほう?24.4140メートルですか」
と知って、頭上に24メートルの高さを想像してみた。
家屋の一階が約3メートルの高さだろうから、ざっと八階建てのビル。それが私の立っているところの標高。海面よりの高さ。
「意外と海が近かったんだ」
今はずいぶん遠くなったけれど。
かつて陸軍の測量部があって、このあたりを標高の基準にすえて日本地図が作られたらしい。それにしても、この公園は人にあまり知られていないから、とてもよいデートスポット。まぎれもない日本国の中心。永田町で恋が語れるなんて……。三方にひだを広げた時計塔があって、
「これ三権分立を表しているんだって」
「あら。あなたは経済力と容姿のよさと性格のよさと三つ表しているかしら?」
「うん?」』

 

国会が空転しないこと望みながら、次回は『永田町二丁目』をお伝えします。

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