四番町

普段よく歩くところなのですが、見過ごしておりました。

四番町の町名由来版です。

文字部分が消えてしまってますので、いままで気づかなかったのかもしれません。

IMG_2443

IMG_2442

IMG_2444

読めないので文字に起こすと・・・

『江戸城に入った徳川家康は、城の守りを固めるため、この一帯に「大番組」と呼ばれる旗本たちを住まわせました。ここから「番町」という地名が生まれました。
江戸時代のこの界隈は、武家屋敷が立ち並んでいました。安政五年(1858年)の日米修好通商条約で、幕府側の代表のひとりであった井上信濃守清直もこの町の住人でした。清直は、初代の外国奉行であり、条約締結に尽力しました。
明治時代になると、中央政庁に近く便利な場所だったために、華族や官吏の邸宅地となりました。政治家の島田三郎や、首相を務めた若槻礼次郎の邸宅もありました。
また、町内には自由民権運動の指導者であった中江兆民が主宰した仏蘭西学舎(のちに仏学塾と改称)もあり、新時代を担う若者たちの活気で満ちあふれていました。
歌人の与謝野鉄幹、晶子夫妻も、明治四十四年(1911年)から大正四年(1915年)にかけて、このあたりに住んでいました。鉄幹が発行した雑誌「明星」からは、北原白秋や石川啄木ら数多くの詩人、歌人が輩出しています。
明治、大正、昭和、激しく揺れ動いた時代を鋭い視点で見つめた人々が、この四番町に集まっていたといえるでしょう。』

奥に見えるファミリーマートですが、以前はエーエムピーエムでした。
日テレ勤務時代によくお世話になりました。
いま日本テレビは汐留に移転していまいましたが、
麹町(旧社屋)では新たにテレビスタジオが建設中です。